#6 貝ボタン製造の歴史 入門編

貝ボタン製造のはじまり

明治維新前後、文化改革の一環として輸入によってボタンが使用されるようになりました。和服から洋服に推移していく中、明治15年/1882年 大阪でボタンの製造が始まります。

明治20年頃/1887年頃 貝ボタン製造技術はドイツ人の技術指導によって神戸市に伝わりました。明治30年頃/1897年頃には河内地方(大阪府)へと伝わり、その後、和歌山県や奈良県へと伝わっていきます。その際、耳成村-上市町-川西村唐院・結崎で各1戸ずつ開始したといわれています。

奈良県に本格的に伝わったのは明治38年頃/1905年頃。
奈良県では江戸時代から盛んだった木綿織物や養蚕業といった産業が衰退の一途をたどり、農家の人々は苦境に立たされていました。そこで、副業として貝ボタン製造が家内工業的に取り入れられるようになってくるのです。 
「初期投資が小額で済む」「原材料が前貸し」といった利点もあり、現金収入を必要とする農家で貝ボタン製造に従事する者が次第に増えていきます。また春夏衣料に使われることが多い貝ボタンは、農閑期の冬に作ると都合がよかったのも貝ボタン製造の農家への受け入れを後押ししたともいわれています。

原材料となる貝は「インドネシア/タヒチ/インド/
琉球」などから輸入されており、出来上がった製品は神戸の外国商館と地方商人を通して販売されます。大和川諸支流の合流点付近で大阪からの舟運の集散地(町を流れる大和川は港のある大阪湾に直結)でもあった奈良県川西町は、海沿いではなくとも舟運に恵まれていました。「神戸~大阪の経済交流」と「大阪~大和(奈良県)の舟運で結ぶ物流」という2つもの動線を活用できたことも、川西町が貝ボタン製造の中心地となることを後押ししたとも推測できるのではないでしょうか


奈良県内の流域には157本の支川が放射状に位置し、大和川に合流しながら1本の流れとなり、大阪湾に流れ出ます。


貝ボタン産業の隆盛

一方 世界では、ボタンが芸術品から手工業製品に転化しました。200年以上手作りされていた貝ボタンも、イギリスのバーミンガム、アメリカと続いて開発された加工機によって量産されるようになります。
ヨーロッパでは白蝶貝がもてはやされ、
1870年代には世界の大部分の白蝶貝が採取されていた西オーストラリアで貝の潜水夫として出稼ぎをする日本人も増えていきました。ところが第一次世界大戦が始まり、白蝶貝の価格が急落します。 
ほとんどの日本人潜水夫が帰国するなか現地に残った者たちは、日本でボタン材料が不足していることを知り、白蝶貝より安価な高瀬貝を1916年~1919年にかけて4000トンも輸出しました。

明治39年/1906年に2戸の業者から始まった奈良県川西町の貝ボタン産業は、大正初期にかけて徐々に成長していきます。昭和20年代から30年代頃が最盛期で、川西町内のある地区では300世帯のうち約200世帯もが貝ボタン製造に携わっていたそうです。
当時は「ぬき屋」「穴あけ屋」「
磨き屋」などボタンづくりは分業で軒をつらね、町全体が貝ボタン工場のようだったとも言われています。
 
たとえば昭和初期の高瀬貝ボタンの生産工程は「原料」「繰場」「塩取」「ロール掛」「摺場」「挽場」「穿孔」「化車磨」「晒」「艶出し」「染色」「乾燥」「蝋艶」「撰別」「台紙付」の順序で、製造業者の同一工場で全工程を行なうものは極めて少なく、各工程によって分業化されていました。
分業化のわけは、
貝ボタン生産費の半分以上を占める原料貝の価格変動によるリスクから逃れるためといわれています。当時、輸入業者の投機により、原料貝の価格は大きな変動を繰り返していました。製造業者が生産工程を分離することで相場変動の危険性を回避し、また原料ストックの資本的重荷からの解放も狙ったというわけです。
第2次世界大戦後の状況にふれておくと、昭和30年/1955年には4億4千万円にのぼる出荷実績をあげアメリカをはじめ西ヨーロッパ諸国へ販路を伸ばしました。
 

一時衰退

しかし、バブル崩壊で長引く不景気の影響、原料高の製品安、合成樹脂製品(※1)の台頭による受注減少/売上低下、後継者不足などが大きな要因となり、一転して転廃業が目立ってきます。たとえば奈良県でいうと、大和高田市のアクリル/ラクト/尿素ボタンといった合成樹脂ボタンも比較的よく知られています。現在ではこの部門の方が生産額も多くなっています

(※1)昭和29年/1954年、貝ボタンに変わるボタン材料としてポリエステルボタンの製造技術が開発されました。現在ではアクリル、スチロール、ナイロン、ポリエステル樹脂、ガゼイン樹脂などのプラスチック素材のボタンが大量生産されており、ポリエステル樹脂の生産が一番多くなっています。


前述したように川西町内のある地区では300世帯のうち約200
世帯もが貝ボタン製造に携わっていた時代もありましたが、プラスチック素材のボタンが増えたこともあり、貝ボタン製造に関わるのは町内で10軒程度と減り、現在では1軒のみとなっています。

一方 世界では、かつてはイタリアやスペインで多くの貝ボタンが製造されていました。しかしアパレル関係の工場がアジア地域へと移っていくのに伴い、現在では中国を始めベトナムやバングラデシュなど東南アジアでの生産量が多くなってきています。
 


貝ボタンの現状

「国内貝ボタン産業の衰退」「世界各地で大量生産される安価な貝ボタン」そんな厳しい状況下にある現在、高級貝ボタンの世界的な産地は日本の奈良県で、国内生産量のうち約85%を製造しています。中でも全国トップシェアを誇るのは川西町です。 ここで思い出してほしいのが、町内で貝ボタン製造に関わっているのが1軒のみという事実です。

川西町に唯一残る貝ボタン工場「株式会社トモイ」(創業1913年)は貝ボタン国内シェアの60%以上を生産しています。因みに、小径で薄い安価な貝ボタンの生産はベトナムで行われ、高級品や特注品の製造は国内で集中して行われています。

株式会社トモイの貝ボタンは、国内ブランドにとどまらずアクアスキュータムやポール・スミスといった海外の高級被服老舗ブランドやナポリのシャツ工房などからも篤い支持を得ています。

その理由の一つに、原料貝の品質を厳選して使っていることがあげられます。株式会社トモイでは、何度も真珠を抱かされ段ができてしまった貝や、厚みを確保するために貝のもろい皮の部分を使うといったボタンの強度を落とすようなことはしません

また人の手と目を使う昔ながらの手法も残す一方で、コンピュータで制御されたレーザー機械といった新しい手法も取り入れたり、ボタン機器の老舗「ボネッティ社」(イタリア)
で学んださまざまな貝ボタン製造技術の成果も取り入れるといった企業努力も惜しむことなく行われています。老舗だからこそ提供できる「変わらない部分」、自らを革新していく「変えていく部分」、世に中の流れや目の前のニーズに対応していくこの柔軟な行動力は個人としても見習うべきものがあります。

そんなわけで、貝ボタンだから高級で高品質というのは一部正解で一部不正解です。天然ものだからこそ品質にばらつきがあり、手を抜こうと思えば抜けるため、安価で低級なものを扱うメーカーもいます。余談ですが、このことも踏まえてワイシャツの価格とワイシャツ本体のバランスがとれているかを見抜くのがシャツ選びでは重要です。

ワイシャツにボタンは欠かせません。
それが貝ボタンであったときに「ワイシャツの付属品的な存在でしかない」とみるか、あるいは「伝統産業品であり伝統工芸品ともいえる装飾品」とみるかの違いでもワイシャツを見る目が変わってきます。
 また貝ボタンと一口に言っても、それぞれ材料貝の種類も、作ったメーカーによって歩んできた歴史や文化が異なります。一括りにしてしまっては貝ボタンの真価が伝わらない気がして、もったいなく感じられます。



<貝ボタンの強度について補足>

貝ボタンは熱に強く、また経年劣化による変色が起きません。また質の良いものはプラスチックよりも硬く丈夫です。
しかし、貝のたんぱく質は高圧プレスによって割れたり欠けたりします。 
クリーニング店に出す際には「貝ボタンなのでプレスに気をつけてください」と 一言そえると安心です。

プラスチック製のボタンは熱に弱く、また経年劣化による変色が起きます。
高温のアイロンで溶けたり焦げたりするなどして変質するおそれがあるので、高温でアイロンをかける際にはボタンに加熱部分が直接あたらないよう気をつけます。


<貝ボタンに使われる代表的な貝、4種類>

高瀬貝 

巻き貝。シャツのボタンなどに使われる、最も一般的なもの。表面は少し黄味のある白色に干渉色が浮かび上がり、裏面には緑や茶の模様が入っていることが多い。産地は様々でインドネシア、ソロモン諸島、パプアニューギニアなど赤道直下の海域。カフスリンクス/カフスボタンは白蝶貝が使われていても、剣ボロのボタンは高瀬貝が使われていることもあります。

白蝶貝 

真珠の母貝でもある二枚貝。数が少ないため、値段も高い。産地はタヒチ、ベトナム、フィリピン、インドネシアなどが中心。オーストラリア産は品質も良く、近年では多く使用されている。真珠層の光沢が圧倒的に華やかで、時計の文字盤やアクセサリーとしても使われている。個人的意見ですが、「夏には涼やかさを、冬には雪の輝きを」と季節感を出すのにも使えます。

黒蝶貝 

黒真珠の母貝。全体に内側が黒い二枚貝。削ると黒い部分が出る。発色が鮮やかでも安いものは、色が薄いものを染色加工したものである可能性が高い。ダークな色合いに鮮やかな干渉色が浮かび上がる特徴を生かして、ルアーやアクセサリーとしても使われています。

茶蝶貝 

全体に内側が茶色い二枚貝。ドレスシャツにカジュアルな雰囲気を加えて遊んでみたいときなどに個人的におすすめします。







― 参考 ―

奈良県川西町HP 貝ボタンができるまで/製造工程
http://www.town.nara-kawanishi.lg.jp/contents_detail.php?frmId=1985

奈良県川西町HP 海のない町の貝ボタン/貝ボタンの歴史
http://www.town.nara-kawanishi.lg.jp/contents_detail.php?frmId=1929

オーストラリアにおける日本人移民の歴史 鈴木明美
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=4&ved=0ahUKEwjH1_bEg5jYAhUITLwKHazhCqUQFgg8MAM&url=https%3A%2F%2Fncu.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_action_common_download%26item_id%3D200%26item_no%3D1%26attribute_id%3D25%26file_no%3D1&usg=AOvVaw0zVa-DVWD6hP6oM3e770If

わが国ボタン産業史の一齣 武知京三
https://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn14.html
 
貝ボタンの株式会社トモイ
https://www.shellbuttons-tomoi.jp/‎